受け入れること 2

当時、小学校2年生の息子を「“1人の人間”として、全てを受け入れて接しよう」

と決めてから私がしたことは、今の子供の状況を俗に言う「普通」と比べずに、受け入れること。自分が今まで信じて走ってきた道のりが間違っていたかもしれないことも全てひっくるめて受け入れること。

今までや目の前のことから目を背けずにしっかりと深く向き合おうとしました。

全記事の「受け入れること 1」に記述した息子の成長過程や立ち振る舞いに、どうして他の子と同じようにできないのか、普通じゃないのかと内心腹を立てて、表情や声色に出すことも多々あった。

そもそもその根本が間違っていた。

“普通”とは何か

誰の、どのラインが普通なのか

普通が良いことなのか

集団生活の中で、意思、成長、行動、学習の部分で、“皆と同じように” が、“普通” であるとするならば、それは自分が子供に望んでいることなのか。自分自身もそれで満足なのか。

日本特有の義務教育に“普通”の刷り込みが為されていることの違和感をそのままに、自分より大切な子供にその違和感を押し付けていた。

思えば、人と違うことをして、他人の評価に左右されず、情報を集めて自分のやりたいこと見つけて進みたい!という学生のころの自分がいたはずなのに、いつからか自分は何をしたいのか見失い、彷徨って、もがいている中で子供を産んで、その子供には自分のことを否定するような“普通”を勧めて、自分も普通の道を進む。全てに違和感と誤解を抱きながらここまできました。

子供というフィルターを通して、自分に対しての苛立ちをぶつけていたのかもしれません。

リセットする必要がありました。その機会を息子が体を張って作ってくれたのです。

“不登校”

言葉にすれば、マイナスの認識が強いですが、

“ねじ曲がった日常のリセット”

とすれば、親子にとってこんな良い機会は他にありません。

感情的ではなく、道理的に・論理的に事実を見れば、悪いことも全て受け入れることが出来ました。

今まで一心不乱に積み上げてきた仕事のスキルも「自分と、子供と、一旦ゼロになって向き合おう」と悩むことなく手放す(退職する)ことができました。

でも私はシングルマザーで、実家に住んでいることで母子手当はもらっていませんし、養育費ももらっていません。退職するときに、金銭面だけはどうしようかと多少は悩みましたが、今のこの状況をそしてこれからの未来を考えるために、今はお金のことを気にしないことにしよう。今までのわずかな貯蓄と、失業手当、夜間のパートで日々を過ごすことにきめました。

このはじまりから、今日で1年半。子供と自分自身も心身ともに変化していきました。

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