受け入れること 1

息子が登校を嫌がり、1週間がたった。

先生から、「今は無理に学校に来る状態ではないかもしれません。お母さん、一度話し合いましょう」と連絡があった。

話し合いをしていく中で、今までの子供の様子や性格、言動を深く振り返ることができた。

同い年の子より、人一倍寂しがりで、不安がりで、保育園は年長になっても朝私と離れるのを嫌がって泣くときがあった。4月1日生まれということもあってか、何をするにも他の子より時間がかかるし、うまくできない。

子供には、「自信」というものがなかったと思う。

前回もお話しした通り、子供が4か月のときから職場復帰し、朝から次の日になるまで働いた。早く帰るときがあっても、休みの日でもずっと頭の中は仕事のこと。

子供がこうなるのは必然的だった。父親がいないメンタルに、母親はずっと仕事。たまに一緒にいてもずっと上の空。自分のことを見ていない。うまくできない自分を歯がゆくみている母親。家に帰って寝るまでは、ろくに話も聞いてくれず、口を開けば「宿題は」「今日誰とあそんだの」「何の勉強したの」と形式的な質問。

子供はもっと、たわいもない小さなことを話したかったと思う。自分をありのまま認めてほしかったと思う。

仕事ばかりしていて、子供とどう向き合えばいいのか、何を話せばいいのかわからなくなっていて、また仕事に逃げていた。

子供と自分の現実をみたくなくて、仕事をすればその背中をみて子供は何をすればいいのか学んで育つと自分に呪文をかけていた。

どうして学校が嫌なのか聞くと子供は最初「わからない。」と答えた。休職して子供と一緒に時間を過ごして、しばらくたってもう一度聞くと「楽しいことが一つもないから。」と答えた。「みんなは授業が嫌だなとかあのお友達が嫌だなとかあっても、何か1つ楽しいことがあるから学校に行けている。自分はそれが何もない。」

私は返す言葉が見つからなかった。いや、固まった。

これは本当に小学2年生の言葉なのか。

私は子供のことを誤解していた。小さな手。小さな細い体。私が、こっちだよと道を教えてあげないと進めない。未熟な精神だと思っていた。

子供は自分でしっかり考えていた。自分の思いがあって、でも認められなくて、もがいて助けてほしいけど、声が届かない中で、ちゃんと考えていたんだ。

今まで子供のことを「自分の子供」「自分の分身」自分のセットのように感じていた。この言葉を聞いて、子供は私とは違う「1人の人間」なのだと思った。

ここから私は「一人の人間」として子供の全てを受け入れようと、向き合い方を変えた。

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